看取りを考える〜訪問看護の現場から〜[その2]
西宮協立訪問看護センター、管理者の稲葉典子です。訪問看護の現場において、とても大切な言葉のひとつである「看取り」。今回は「看取りを考える〜訪問看護の現場から〜」と題し、2回に分けてお話しします。後半は「臨死期の看取り」と「最期のとき、訪問看護の関わり」です。だれもが直面する「看取り」について、考えるための一助になればと思います。
臨死期の看取り
人生を全うされる方の身体的な変化について、訪問看護師は「今、身体がどのような状況や変化が起こっているのか」を説明することができます。
シシリー・ソンダースという「近代ホスピスの母」と呼ばれている方が「 Not doing, but being 」(何かをするのでなく、ただそばにいること)と名言を遺されています。まさにその通り、どのようにそばにいることができるのか、ということが、易しいようで難しいことだとされています。訪問看護師は、身体の変化について説明をしながら、どのようにそばにいることができるのか、ご本人やご家族と一緒に考えることができます。
これは、その1で述べたような「息を引き取るところを見守る」ことではありません。病院では、身体にモニターがついており、異常を察知すれば息を引き取るところに立ち会える可能性は高いでしょう。しかし、家で生活を送りながらながらモニターで遠隔監視することは難しいのが現状です。
馴染みの場所や人の声、そうした息づかいのあるところで静かに逝かれる方もたくさんいらっしゃいます。「ただそばにいること」は、四六時中ベッドの横に居つづけることではなく、「看取りをされる人」がどう望むのかを汲み取ることが大切なのだと思います。
最期のとき、訪問看護の関わり
病院ではないふだん過ごされている生活の場で最期を迎えられる方と、訪問看護の関わり方は実に多様です。
家族が寝ておられる間に静かに逝かれる方や、ご家族で見守られる方、一人暮らしの中での看取りを希望される方など、さまざまな背景やそこに至るプロセスを経て最期のときは訪れます。主治医や周囲の支援者がそのプロセスを共有しながらも、「看取りをする人」だけで看取られる方も多く、訪問看護には呼吸が止まってから連絡をいただく場合もあります。
最期に至るまで心身の状態はさまざまに変化していきますので、24時間対応の訪問看護ステーション(24時間連絡がつき、電話や時には訪問して対応できる体制を取っているステーション)であれば、連絡していただいて構いません。呼吸の様子がおかしいなど、「現状、どういうことが起こっているのか」「これからどうなっていくのか」をご連絡いただけると、訪問看護は対応いたします。
千差万別の「看取り」。それぞれ固有の最期の時間に寄り添いながら、その都度ともに考え支えるあり方だと言えます。私たちは、前例の型にはめずに、経験値をうまく活かしながら、貴重な人生の最終段階にそっと手が差し伸べられる支援者でいたいと考えています。
※「看取りを問う」と「看取りの支援とは」はその1を参照